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(無題)

 投稿者:dazaist  投稿日:2008年 7月 6日(日)07時45分14秒
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  秋葉原で起こった事件は、精神異常やそういった問題が原因ではないと思う。あの犯人に僕は永山則夫を重ねてしまう。青森県出身などの要因もあるが、永山則夫自身が片桐操の事件に影響されていて模倣犯とも取れるような行動を起こした事も、秋葉原の犯人と被るよね。秋葉原の犯人は池田小学校の犯行と同じ日づけだったり、土浦の通り魔事件に影響を受けているようだし、正当化出来る事件ではないのだけど、ニュースで取り上げられている彼が書き込んだBBSの文章を読んでいるとあそこまで追い込まれる気持ちが痛いほど分かる。誰も話す友人がいなかったり、女にモテなかったり、仕事が行き詰っていて、どんどん閉塞的な状況に陥っていくというスパイラルはよく分かる。
彼はある意味被害者なのかもしれない。社会という大きな空間の中でコンプレックスやどうしようもない状況、対人関係の欠如が招いたものであって、高度文明化社会というストレス社会で生きる僕達だっていつでもああなる可能性はあるんじゃないだろうか?みんな、ただ運が良いだけで、ああいう暴走が唯一の動物的な、またラッピングされていない生の感情じゃないだろうか?
僕はああいった事件や背景を見ていると身につまされるものがある。誰が彼を裁けるのか?彼の行動は正義でもなんでもないのは確かだし、倫理的、道徳的に考えれば許されるものじゃない。しかし、状況が変われば殺人は合法化されるし、それが英雄になる時代だってあった。また虚構の世界、映画の中では正義のヒーローが敵を殺しまくって喝采を浴びているし、テレビゲームの中では人を殺せば殺すほど高得点を叩き出しプレイヤーは必死に敵を殺す。
虚構を現実化するというのは、よくある事で、それが第三者に危害を加えるというのは別に珍しい事ではない。都市整備という虚構で人々は住居を追い出されるし、生活のためと言って原子力発電所を建設して近隣住民は常に恐怖と戦っている。
短期の殺人は裁かれて、長期に渡ってジワジワ弱らせる殺人は合法とでも言うのか?
法治国家だなんて偉そうに識者共は言いやがるが、彼のような深い孤独と倦怠感、強烈なコンプレックス、資本主義社会からの疎外、それに伴う先の見えない閉塞状況が折り重なるように心の中で堆積していった人間を誰が裁けようか!
彼を裁くのは簡単であり、当然であろう。しかし、その根元に巣食う原因を誰も見ようとしないし、無関心すぎる。何も社会が全て悪いとは言わない。しかし、かなりの大きい要因であった事は間違いないだろう。
アニメの話をしていたとモザイクという防護壁で守られながら、蔑みの感情が多分に入った言葉を平然と吐き捨てた同僚、雇い主の資本家丸出しの醜く言い訳、彼の両親がしょうもない善良性と道徳から吐き出される被害者への謝罪
何も変わっちゃいない!人々は全く進歩していない!進歩しているのは技術だけである。人の中に革新性を求めるのは傲慢か?偽善か?
昔より悪化していると僕は考える。都合よく「個人」という言い訳と使い勝手の良い鎧を人は持ち出し、無関心を気取っている。会話や対立、関りから徹底的に逃避し、全くくだらない思考と戯れ耽溺する事でしか自我というものを保てない矮小な人間がどれだけ街に溢れていることか!
僕は数年前まで人に関して無関心であったのかもしれない。常に僕は空気のように漠然とした概念や敵を猛烈に攻撃していたが身近な人間と争い、もめる事は殆ど無かった。
しかし、今は違う。身近な人間に対しても平然と批判するし、攻撃する。それは決して大きな敵との闘争から逃避した結果の事ではない。大きな敵との闘いから生み出されてきた防衛、団結観からである。身近に触れ合う人間にすら物事を言えなければ必然的に僕の意見は陰口の域を出ないものであり、どんな偉い人間と直接会っても意見を言えなければそれこそ根幹から論理は崩れてしまう。
そう考えると僕は人に無関心では無くなった。より関わりたいし、より相手を知りたい。そして、相手をよく理解出来る方法は唯一つしかない。そう、議論や会話である。人間は会話でしか分かり合えない。僕は馬鹿なロマンチストではないので、目を見るだけで相手の気持ちが分かるなどというオカルトチックな事を信じるわけがないし、全否定する。仮に有り得たとしてもそんな分かり合えるまでに数万年かかるような事をのん気にやるほど気は長くない。
言葉を交わす。それは時に激論を生み出し、双方傷付け合う事もあれば、理解し合い新しい物を創造することもある。言葉を交わしたって分かり合うまでに時間はかかるだろうし、面倒臭い事であることも否定はしない。しかし、人との交流や会話や時に自分を写す最も有効な鏡になる事もあるのだから正に一石二鳥
なので僕は無口な思慮深い人間なんてものを全く下らない俗物であると思うし、価値の無い置物のような無用の長物であると考える。
秋葉原の事件の犯人とも学生時代に同じクラスにいたならば僕は友達になれていたかもしれない。そういう気持ちを彼の周りの誰かかしらが持っていたならば、あのような悲劇は起きていなかったのかもしれない。
秋葉原の事件にワーキングプアやプレカリアートの問題が潜んでいる事も忘れてはいけない。蟹工船が18万部売れる時代が到来し、あと十年も経てば暴動が頻発するんじゃないかと僕の楽観主義的な感覚が首を擡げる。しかし、そういう状況を僕達は待ちわびるんじゃなく、作り出さなければならない。
この国から暴動が消えて10年以上が経った。期は熟してきているのだ。
若者よ!起て!我々に続いて第二、第三の攻撃を加えよ!
社会にアーミーナイフを突き立てよ!
そして世間に向けてこう叫べ!「俺達が時代を作るんだ!」と
 
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